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GARCIA : A SIGNPOST TO NEW SPACE 抜粋

片岡義男の人生指南の自己啓発書みたいなタイトル、ちょっとねえ
ジェリー・ガルシア享年53歳だったことに驚く。自分が小僧過ぎるんだが、、

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GARCIA : A SIGNPOST TO NEW SPACE

Jerry Garcia , Charles Reich & Jann Wenner 


P140

ライク あなたはなぜそんなふうにオプティミスティックでいられるのだろう。

ガルシア 音楽のなかには、オプティミズムがはじめからそなわっている。 オプティミズムは、言いかえれば「スペース」だ。音楽には無限のスペースがある。この人生を何百万回とくりかえしたって、音楽のスペースをきわめつくすことはできない。音楽は無限のシリンダーなのだ。果てがない。スペースそのものなのだ。音楽のフォームには、そのフォームの一部分として、無限のスペースを持っている。だから、音楽の持っているモーメンタムは、じつはこの無限のスペースのなかにあるんだ。


P143

ライク うまくいくときには、あなたたちの力だけではなく、その場のぜんたいが関係してくるのだね。

ガルシア ぜんたいだ。コンサートの不幸は、ステージだ。観客はダンスフロアにみんなすわりこむか、椅子の席があるときには立ちあがっていなくてはならない。なにか新しいものはなかなか生まれてはこない。 柔軟性がなさすぎるからだ。 こういう、いわば箱のようなもののなかで、これまでぼくたちは活動してきた。生きのびていくためのメカニズムとしてそういったものをぼくたちは利用してきたけれど、枠をとっぱずしてなにかができそうなときには、そうしてきた。だけど、基本的には、なにも新しいものは生まれてはこない構造になっているし、観客のほうも、はめられた枠をはずせないことになっている。なぜかというと、アナーキーやカオスは、誰もがおそれるものだからだ。すくなくとも、とても多くの人たちが、アナーキーやカオスをおそれているアナーキーやカオスのただなかに入りこんでくる人たちは別として。

ライク なぜあなたは、そういうものが怖くないのだろうか。

ガルシア 場数を踏んでいるから、アナーキーやカオスがとても好きだ、という状態にまでぼくは達している。 アナーキーやカオスのなかで、新しいことがおこってくるのだ。なぜ人がアナーキーやカオスを怖れるのか、その理由がぼくにはいまだにわからないけれど、怖がる理由は、それなりにあるのだと思う。自分を守りたいとか、自分自身に関する自分の個人的な幻想をこわしたくないとか。みんな、パラノイド的な理由だ。大きなエネルギーが発揮される種類の体験ではみんなそうだけれど、正面きってぶつかっていくと駄目なんだ。サーフィンで大きな波に乗るときとおなじで、大きなエネルギーに自分をそえて乗せていけば、なんともない。


P145

新しい社会をひとつ、ぼくは頭に描いている。どんな社会かというと、音楽が、聞く人をハイにする役を負っている社会だ。ぼくたちがしつこく言っているのはこういう社会のことなんだけれど、当のぼくたちにとっては、ますますむずかしくなってきている。 グレートフル・デッドも、いまや敏捷な動きができないんだ。 どこで演奏しても、五〇〇〇人から一万人の人が、聞きにやってくる。そのなかには、あらゆる人が含まれている。 いったいなにをどうすればいいのかまったくわからない人のほうが、わかっている人たちにくらべて、数のうえでは圧倒的に多い。だから、いろんな要素が、 ごちゃまぜに入りこんでくる。

ライク ハイになることが、 なぜ、重要なのだろう。ハイでいることが、なぜ、大切なのだろうか。ハイになって、その人自身あるいは世のなかやコミュニティにとって、どんないいことがあるのだろうか。

ガルシア ほんとうにハイになるということは、自分を忘れてしまうことなんだ。 自分を忘れるとは、ほかのすべてのものを見るということだ。ほかのすべてを見るとは、つまり、宇宙のなかで意識あるひとつの有用な道具になることだ。誰でもみんな、こうなるべきだと思う。ハイになるのが大事だとぼくが思うのは、こういう理由による。

ライク 薬で完全にのびてしまったり意識を失ったりするのは、ハイとはまったくちがうことなのだね。

ガルシア ぼくがいま喋っているのは、意識を失うことではなくて、意識をできるかぎりいっぱいに広げることなのだ。それに、グレートフル・デッドが自己完結的なものだともぼくは言っていない。ハイになることそのものを目的にしているわけでもない。グレートフル・デッドは、標識みたいなものだ。その標識がいったいなにを告げているかというと、空間はとてつもなく広く、その新たなる空間のほうへぬけだしていくと、ありとあらゆる体験の可能性が充分にのこされている、という事実を告げている。ぼくたちは、一種の標識だね。 広い空間の存在を指し示すと同時に、危険や困難、それに失敗などをも、指し示している。そこにあるものすべてを指し示しているんだ。ぼくたちがほんとうに自分たちの機能を発揮しているときには、そうなんだ。

ライク あなたは、新たなる空間の存在を告げてくれる標識なのだね。

ガルシア うん。この社会のなかでぼくたちが果たさなくてはいけない役割は、そういうことなんだ。そして、ぼくたちの小さな社会のなかでは、ぼくたちはそういった役をいま果たしている。だけど、もっと一般的な社会、つまりメディアの世界とかそういったところでは、ぼくたちは単なるロックンロール・バンドだ。


P149

このサンフランシスコでもうながいあいだにわたっておこなわれてきているニュー・カルチャは、すべてスーパー・ポジティヴなものだとぼくは思っている。だから、どんどんつづけていって、ほんとうにハイになり、心をこめて動いていけばいいんだ。ぼくはそんなふうに感じている。なにかよくないことがおこなわれているのに気づいたら、自分にできるかぎり、その場でなにか手を打てるようでなくてはいけない。 できるだけリアルに、できるだけ単純に、対処するように努めるべきだ。できるだけ公正に。べつにむずかしいことでもなんでもないと思う。 自分はどれだけのことをすべきなのかを自分に聞けばいい。結局は、そういうことなんだ。自分はいったいどれだけのことをすべきなのかに関して、自分自身がどう判断するかだ。

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