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20171006_Gladdy Unlimited_こだま和文〜じゃがたら〜Fishmans

 これを見てきた。  「小玉 和文って誰? 」と訊いたのは、Fishmansのファーストで名前を見たとき。「ああ、小玉和文がプロデュースしてるんだ。ほら、MUTE BEATの」みたいなことを連れは言った。連れは高校の頃、MUTE BEATが好きで、そこから遡ってSKATALITESとか、聴いてたらしい。自分はMUTE BEATもSKATALITESも???だった。また、小玉和文がじゃがたらの江戸アケミと浅からぬ縁であったり、MUTE BEATとじゃがたらで、メンバーの被りがあったことは、もっとあとで知った。ちなみに、DUB STATION BANDのHAKASE-SUN(Key)は、初期Fishmansメンバーだ。  Fishmansを、リアルタイムで好きだった頃、「最近何聴いてんの?」とJean Paul 便所入道氏に訊かれて「Fishmansとか」と答えたら、「ああ、昔じゃがたらとも対バンしてたよ」と言っていた。その時は意外に思いつつ、まあDubとFunkは親戚みたいなもんだしな、くらいに受け止めていたけれども、こだま氏繋がりの必然が、あったのだろう。じゃがたらは、アケミが死んでしまった後からだけど、かなり入れ込んで聴いていた。その後、Fishmansの佐藤くんも、死んでしまい、なにか自分が強く魅かれる人は、死んでしまうのか?自分も気をつけないと、危ないのかもしれないな、と30代の頃は考えていた。  じゃがたらとFishmansを繋ぐ人として、こだまさんは、自分の中で妙に共感度の高い人となった。それで、後からMUTE BEATやソロを聴いたり、Twitterの夕焼け写真をいいねしたりしていたのだけれど、最近、KODAMA AND THE DUB STATION BANDで活動盛んになってきて、まだLive見たことないから近いうちに行ってみようと、思った次第。  Gladdyのことは、よく知らない。SKATALITESはその後、聴いていたので、そのあたりの屋台骨を担っていた人だったんだくらいのキャッチアップ。MUTE BEAT時代から、何回か共演もしていたらしいが、2015年に他界。スライド&トークショーやフィルム、こだまさんの語り口からも、Gladdyへの関係者の敬愛ぶりが伺われ、いいなあと感じた。映画や音源を、またCheckしてみ