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水俣曼荼羅をみる

水俣曼荼羅/原一男+疾走プロダクション、をみる。疾走プロダクションって、名前かっこいいいな。原一男は、「ゆきゆきて進軍」が有名な作品だけど、最近作は見ていなかった。かなり昔に過去作をまとめて上映している時に見た「極私的エロス・恋歌  1974 」が印象に残っている。  いろいろな事件や現場を追いつつも、何らかのテーマを提示することよりも、その人そのものの有り様 を、生々しく撮る人だよなーと。 372 分、 6 時間 12 分、 20 年をかけて撮影した新たな代表作。うん、これは映画館で見ておくべき作品ではないかと。これだけ長い映画、前に青山真治の間章に関する映画「 AA 」をアテネ・フランセで見た以来だ。  最近、終わらない仕事てんこ盛りで、微妙にすり減ってきているかもなので、休みとっておこうとおもって、金曜日を年休に。結局、木曜中に片付けようと思っていた仕事が終わらずに、金曜 PM 休で 12:50 からこの映画を見る。  しかし、疲れているので休暇をとかいいつつ、このようにハードそうな映画を見に行くのは、自分けっこう元気なのかな?とか、むしろエネルギーの使い方がアンバランスなのか。  水俣病の過去の歴史や全容を概括するような内容なのかなと、想定したけどそうではなかった。もっと近年の水俣病に認定されない方々の裁判や行政との戦い、またそのキーとなる、水俣病の原因を末梢神経ではなく脳の中枢への有機水銀の影響によるものとする医師の取り組み、更には関係者の人となりを丁寧に追っている。  裁判で勝訴しても、それは訴訟した個人に対するもので、同じような状況の方々にすぐに敷衍されるわけではない。また、環境省や県の行政の動きがすぐに変わるわけでもなく、認定対象が直ぐに広がるわけでもない。むしろ、あらゆる役所側の対応としては、分掌が異なる、前例、記録がない、お話は承りました、お察しします、責任者は逃げる、担当はなんでこんな矢面に立つ羽目になってしまったんだろう、と官僚的な答弁を繰り返す。  そんな行政への申し入れのシーンでは、むしろ役所側の席で、あー早くこのキツイ会合おわらないかなーと、ダンマリを決め込んで下を向いている隅っこの席のボンクラに、感情移入できてしまう。  寒気がしてくるような、そんなシーンで、あっと思ったのは、凛とした若い女性(訴訟人である溝口さんの書道教室に、小学生